瓦版のトップページに戻ります 新疆瓦版−ウルムチまでは何マイル? Xinjiang Times Kawara Edition - How Many Miles to Urumchi?
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2002年5月のお題目一覧


5月18日(土) 始まりの日は雨の巻
旅立ちの日、天気は大雨。
まるでこれからの留学生活を暗示しているような幸先の良さです。
普通は故国を離れる感慨に浸ったりするべきなのでしょうが、
何しろ準備に追われてほとんど一睡もしていなかったので、機内に入るとすぐに熟睡。
離陸にも機内食にも気が付かずに、目がさめた時にはもう北京の上空でした。


その日の内にウルムチに行くフライト・スケジュールだと、空き時間が4時間ほどできます。
仕方なく、北京空港の喫茶店でぼんやりとしていたところ、一人のウェイトレスが目にとまりました。
そのシャオジエ(小姐)はアイスクリームをお盆に乗せたまま、次から次へとテーブルを回っています。
いったい何をしているんだろうと思っていたところ、こっちにやってきた彼女が一言、
アイスクリームいらない?」と。
そう、小姐はアイスクリームの押し売りだったのです。

押し売りという行為の是非はともかく、アイスクリームの現物を持ち歩くとは・・・。
当たり前のことですが、どう見ても溶けかかっています。一体、誰が買うのだろう?
と思って、更に観察していた所(もちろん買わなかった)、
隣のテーブルでしばらく話していた小姐が急いで引き返していきました。
帰ってきた時、お盆の上のアイスは(先ほどのアイスも含めて)4つに増えていました。
さすが人民細かいことは気にしないのだと妙に感心してしまいました。


ウルムチ行きの飛行機は―中国では良くあることですが―、
1時間ほど遅れての搭乗開始となりました。
隣の席の人はサラリーマン風の若い人民。荷物を上げるのにてこずっていると、
さっと席を立って手伝ってくれました。こういう場面では人民は意外にスマートです。
流暢な英語で話す彼、余さんは内蒙古の出身。
今は北京で携帯電話の会社に勤務しており、今回は商用でウルムチに行くとか。

で、結婚はしてるの?ボーイフレンドは?」と余さん。
日本では一歩間違えればセクハラになりかねないこんな質問も、
人民にとっては日常茶飯事です。
彼らは配偶者の有無、また人の年収など、日本では「立ち入った質問」とされることも、
まるで今日の夕飯のメニューを聞くかのごとく気軽に聞いて来ます。
プライバシー?何それ、食べたことないの世界です。
結婚はしてません、ボーイフレンドはたくさんと答えたところ、
違う、僕が聞いたのはステディのことだと。どうでもいいじゃないか、そんなことは。

その後、年上だと思っていた彼が実は22歳だったと知り、いささかショックを受けました。
すると私は5つも年下の若造に、ボーイフレンドはいるのかい?なんて軽く聞かれていたのかと。
(もっとも向こうも自分が30歳に見られていたことにショックを受けていたようですが・・・)
人民恐るべしです。


楽しい(?)フライトの後、ウルムチ空港で余さん改め余君とお別れ。
空港には社会科学院の張先生と力さんが迎えに来てくれていました。
小一時間の後、新疆社会科学院に到着。

私が住むことになる部屋の第一印象は、「思ったより広いな」でした。
8畳の寝室と12畳の客間、そしてバスルームとキッチンがあります。
といってもすべて〜になる予定の部屋という感じで、ベッドと机が一つずつある他は、
見事なまでに何もなかったのですが。何と言っても非常に薄暗い。
まともに住めるようになるまでには結構時間がかかりそうです。


窓から見上げた空には星がちかちかと瞬いていて、何だかとても嬉しくなりました。
とにもかくにも留学生活の始まりです。これから頑張るぞと。


 我が家をのぞいてみたい方は我が家は都のほとりへどうぞ。


5月19日(日) イエローなページの巻
2日目の朝。今日はゆっくり休んでいるように言われたのですが、
根が貧乏性なのでじっとしていることができません。という訳でさっそく辺りを探索。
社会科学院の門を出て、しばらく左に歩くと、ちょっとしたバザールがあります。
冷やかしながら歩いていると、「網口巴」(ネットバーを発見。
バーといってもお姉さんがお酒をついでくれるわけではなく、
早い話がインターネット・カフェのことです。
1時間2元(今現在1円=15.5元)と非常に安かったので、入ってみることにしました。


ところが、自分のサイトにアクセスしようとしてみたところ、つながりません。
接続が悪いのだろうかと、何度かトライしてみたのですが、やっぱり駄目です。
おかしいなと思い、画面をよくよく見てみると、
あなたが今訪れたサイトは黄色サイトの規制に触れるため
閲覧が禁止されています」の文字が。
黄色は日本でいうピンク色、つまり黄色サイトとはアダルトサイトのことです。そんな馬鹿な。
何で私の健全この上ないサイトがアダルトサイトの汚名を着なければならないのでしょう。
憤懣やるかたなく、その後15分ほど、何とか我がサイトを開こうと試みてみました。

その結果―そのすべては徒労に終わったのですが―わかったこと。
それは私のサイトのみならず、GoogleからYAHOO Japanまで、
ドット・ジェーピーのつくサイトがことごとく見られないということでした。

そう、ここ新疆では、日本それ自体がいかがわしい国として制限されていたのです。
ある意味それが真実と言えないことも無いような気もしますが、何も全否定しなくても。
第一、いかがわしさでいったら.comはどうなんだ。
連日のように送られてくるゴミメールの発信元の殆どが.comじゃないか!
(この気持ち、ホットメールユーザーの皆さんにはわかっていただけますよね?)


しかし、私がいくらぼやいたところで事態の改善には何の役にも立たず。
とりあえず家族に、嫌がらせの日本語ローマ字打ちメールを送って、すごすごと帰ってきました。
他の所に行けばきっと大丈夫なのでしょうけど、なんとなく気勢をそがれてしまい、
ネットから遠ざかっている今日この頃。
このページがアップロードできるのはいつになることでしょう。


5月21日(火) 三種の神器光臨の巻
我が家に三種の神器が到着。
(ご存知ないと言う諸兄のために一応言っておきますが、テレビと冷蔵庫と洗濯機のことです。)
さあ、これで文明的な生活が!と思ったところさにあらず。
神器は長いこと封印されていたため、すっかり錆付いてしまっていたのです。


まず冷蔵庫は氷漬けのマンモスか?という感じで、半分以上が万年雪で覆われています。
氷は下の冷蔵庫の部分をも侵食しており、氷を溶かさないことには物も入りません。

洗濯機は2槽式。回してみる以前に、水を入れるホースも、排水のホースも無いので、
それを揃えなければなりません。

テレビはコードが無いので、つけてもノイズしか見ることができません。
つまり早い話が、現時点では何一つ使い物にならないということです。


これらの家電を運んでくれた力さんは、ついでに柄のないフライパン(どーやって持つんだ?)や、
中段のない蒸し器(これってただの鍋なんじゃあ・・・?)などもくれました。ありがたいことです。

とりあえずガス台も無いので、使う機会が無いのが大変残念でなりません。


5月24日(木) 三つの時の狭間での巻
広大無辺の地、ここ新疆には、困ったことに3つの時間が存在します。


一つは北京時間と呼ばれる中国の標準時です。
始皇帝以来、何でも統一するのが好きなお国柄のため、
中国には北京を基準とするたった一つの標準時しかありません。
日本との時差は1時間。従って、私の時計は、日本の皆さんのそれと1時間しか違わないわけです。

しかし、狭い日本ならいざ知らず、あれだけ広い国土を持つ中国のこと。
どだい1つの時間で動かそうとする方が無理な話。
特にここウルムチは、実際上は北京と2時間の時差があるため、
夜の9時になってもまだ外が明るいというおかしな事が起こって来ます。

そんなわけで新疆では新疆時間、あるいはウルムチ時間と呼ばれる現地時間が使われています。
こちらは北京時間より2時間遅く、現地の実情に即しているため、
実際上の生活は、こちらの時間に沿った動いているのです。


このように生活は新疆時間で動いているのですが、
ややこしいのが、時間を言い表すのに北京時間と新疆時間が両方使われているという点です。
例えば、ここウルムチでは昼ご飯は大体新疆時間12時に食べますが、
それを新疆時間の12時と言う人もあれば、北京時間の2時と言う人もあるのです。
従って、待ち合わせの際には、北京時間か新疆時間かを確認しないと、
最悪の場合2時間待たされるか、はたまた待たせるかということになってしまうわけです。

一日の内に漢族とウイグル人の友人と会う日には、頭がこんがらかります。
まず漢族の友人と北京時間の12時に会い、その後2時にウイグル人の友人と会う約束をしたとします。
しかし一般的に漢族は北京時間、ウイグル人は新疆時間を使うので、
二人とも電話では「じゃあ12時に」と言います。これはダブルブッキングをしているわけではなく、
実際には漢族とは「北京時間」の12時に、ウイグル人の友人とは「新疆時間」の12時に会う訳です。
落ち着いて考えればどうということはないのですが、
あせっている時などはどちらが早いのかわからなくなり、
よく混乱しています。


とまあ、ここまでは大体どこのガイドブックを見ても書いてあることなのですが、
私はあえて新疆には3番目の時間があると言いたい。
実際の話、新疆の人民は時間に対する観念が日本のそれとはかなり異なっています。
彼らは時間に対する感覚がゆるやか、早い話が時間にルーズなのです。
こっちが必死で北京時間か新疆時間かを間違えないようにしても、
しばしばそれは無駄に終わります。なぜって彼らがその時間通りに来るとは限らないからです。
朝の8時に来るといって昼に来ることは当たり前。
明日来ると言って、来るのがしあさってだったりすることもあります。
そして皆、遅れようが悪びれることはありません。

そんな彼らの国、新疆では、バスは客がいっぱいにならないと出発しない、
飛行機は平気で4〜5時間遅れる、6時間でいけるはずの街まで12時間かかる、
そんなことも日常茶飯事です。そして余りそれを気にしている風には見えないんですよね。
何と言うか悠久の時の流れの中に生きている感じ。
この3番目の時間―私はこれを「大陸時間」と呼びます―が、実は一番困ったものだと思うのです。


もっとも、最初こそ山手線が5分間隔で正確に来るような日本時間が残っていたため、
待ちぼうけを食っていらいらしていた私ですが、最近は徐々にこっちの感覚に慣れつつあります。
分単位、時間単位でものを考えるのをやめ、日単位でことが進めばいいやと思うようになりました。
過剰な期待をせずに、事態の推移を見守ろう。今日だめでも明日、明後日にできればいいやと。
そんな訳で気分的には楽になったのですが、これって堕落?と思うところがないわけではなく、
ジレンマを感じる今日この頃です。


5月28日(火) 医療事故の巻
以前お伝えしてきたように、留学に当たって日本で健康診断を受けてきたのですが、
新疆では使えないねとあっさり宣告され、改めて検診を受けることになりました。
わざわざ持参したレントゲン写真をどうしてくれようと言う感じです。


場所はバス停一つ先の新疆国際旅行衛生中心というところ。
受付を済ませると、さっそく検査が始まりました。最初の部屋は採血ルーム。
およそ試験管1本分の血を取られた後、次の部屋に入っていくと、
医者が注射器を片手に手招きをしています。
また採血かと思いつつ、指示されるままに座って手を出すと、
医者が小さなガラスのビンの首を折ってなにやら液体を吸い上げています。

あれ、健康診断に注射を打つ必要があったっけ?
と思う間もなく、シュッ、ブスッ。まるで野生動物に麻酔銃を撃つかのように、
それは無造作に注射を打たれてしまいました。

その後、カルテを見た医者が一言
「アイヤー、間違たアル。日本人予防接種必要ないね」※と。
ここでは、外国人向けの健康診断の他、海外に行く人民の予防接種もやっているらしく、
ぱっと見で人民に見える私に予防接種を施してしまったようです。
カルテも見ずにひどいじゃないかと抗議したところ、答えがまたふるっていました。
何せ「予防接種だから体にいい!メイヴェンティ!!(没問題)」ですから。
仮にも医者の言うことでしょうか?


しかし、文句をいってもカエルの面に何とやら、仕方なく次に進むことにしました。
超音波検査の次は計測です。まずは視力測定。左目を手で押さえていくつか答えた後、
「◎×△*」と言われました。違っていたのかなと思い、再び左目を手で押さえて答えたところ、
「ハオ」。どうやら両眼の測定が終わってしまったようです。

次に身長と体重。靴を履き、かばんを下げたままの状態で計測器に乗るよう指示され、
「ハオ、ハオ。」で終わり。後で見たところ、両眼(実際には片目)の視力は異なり、
身長は170センチになっていました。
あのー、5センチも高いんですけど、本当に「ハオ」なんですか?


心電図を測り終わって、最後のX線検査の待合室で待っていたところ、
隣の部屋の医者の手元が見えました。レバーのようなものを握って上下左右に動かしています。
そして目の前の画面には、どう見ても肋骨のようなものが、これまた上下左右に移動しています。
普通は身長にあわせて、事前に機械の位置を移動させますよね?
しかし彼らはその手間を省き、
X線を照射しながらちょうどいい位置まで機械を移動させていた
のでした。何と言う恐ろしいことを。

そして私の番がやってきました。女性の皆さんならご存知かと思いますが、
普通レントゲンの際には金具が写りこまないように下着を取ります。
しかしここ新疆では予想通りそのまま。息を吸って吐いて、「ハオ」。
そして検診は終わりを告げたのでした。


疲れ果てて帰宅した今、件の注射のあとが異常なほど痛みます。
気のせいか、体がだるくなってきたような・・・。
医療事故さえも「メイウェンティ」の一言で許されてしまう新疆。
故郷の父上、母上、あなた方の娘はそんなアンビリーバボーな国で暮らしておりますなれば、
万一の時は先立つ不孝をお許しくださいませ。


※ 超訳です。


5月30日(木) ご近所づきあいの巻
私が現在所属している新疆社会科学院は学校ではなく研究所です。
ここは基本的には留学生を受け入れておらず(留学手続きに時間がかかったのもそのため)、
また来ようと言う物好きもかなり稀だとか。

そんな訳で、現在のところ研究所内はもちろん、敷地にある団地に住む数百人の人々の中で、
外国人は私一人しかいません。更に、社会科学院は北のはずれにあり、
外国人が来るようなところでもないので、この界隈に住む人々は当然ながら全て人民。
よほどのことがない限り日本人に会うような機会もなく、
かなりマイノリティーな立場に置かれています。

ただ、異国の地で寂しい生活を送っているかと言うとそうでもなく。ウルムチに着いてから2週間。
すでに色々と顔見知りもできました。


隣に住むおばあさん、許さんは、会うたびに「チーファンラマ?」と挨拶してくれます。
下の階のハミドゥッラー氏はイリ生まれのウイグル人。以前北京に住んでいたとかで、
ウイグル語より漢語を話すことが好きなようです。

隣の棟に住む劉蘭は14歳。着いてすぐの頃、近所に日本人が来たと聞いて、
興味津々で訪ねてきたのをきっかけに、今では毎日のように家に入り浸っています。
今の私の漢語のレベルにはちょうどいい練習相手。蘭蘭とは家族ぐるみの付き合いで、
週末の昼にどんぶり一杯の餃子をただひたすら食べ続ける羽目になったり、
誕生日会にお呼ばれし、夜中の12時にバタークリームの龍が乗った、
胸の焼けるようなバースデーケーキをごちそうになったりと、
人民の生の文化を学ぶまたとない機会を得ています。


バザールのナン屋には沢山のウイグル人の若者が働いています。
トルスン、アブドゥリシト、メメット・・・次から次へと出てくるので名前を覚えるので精一杯。
1日行かないと、昨日は何で来なかったんだと責められ、
2日行かないと、失踪したのかと思ったと怒られます。
全然商売っ気がなく(しょっちゅうタダでくれる)、顔を見せればそれでいいので、
何も買わない日も(というか何も買わない日のほうが多い)、座ってお茶をご馳走になる毎日。
プラクティカル・ウイグルの格好の練習場所になっています。

その隣のウイグル食堂のご主人アフメット氏は、行く度に焼きたてサムサをくれます。
そしてサムサをくれるのと同じぐらいの気安さで、息子をお前にやろうと。
嬉しいんだけど、息子、18だしなぁ・・・。
さすがに申し訳ないので、その度にご辞退しています。


その他、ヨーグルトを買うたびにワールドカップの話をしてくれるおじさんや、
買い物をするたびに小一時間は雑談に付き合わなければならない雑貨店など、
紹介していくときりがないので、この辺でやめておきます。
そんな感じで、地域社会に根を下ろしつつある今日この頃。
とりあえず元気に楽しく過ごしておりますので、皆様どうぞご安心下さいませ。
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