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2002年10月のお題目一覧


10月5日(土) いつか白馬に乗ったお殿様がの巻
日本の男性がシャイで口下手なのは世界的に有名ですが、
ことウイグル人に関して言えば、
未だかつてシャイで口下手な男性にお目にかかったことがありません
。存在しているにしても、エンディンジャード・スピーシーズであることは間違いと思えるぐらい、
皆一様に大胆かつ積極的で、なぜか皆、根拠のない自信に満ち溢れています。


「天上に輝くのは空の星、地上で輝くのは僕の星」

「おお、僕の命よ この心の炎を感じておくれ」


TPOに関係なく、こんなこっぱずかしい言葉を往来で叫ぶのもウイグル男性です。
概してウイグル人は口がうまく、子供から老人にいたるまで女性を誉めるのが大変上手です。
その誉め方ときたら、枯れ木に花を咲かす花さかじいさんの如く、
打ち出の小槌をふる一寸法師の如く。まさに、無から有をひねり出す天才なのです。


それがあからさまなリップサービスだとわかっていても、嬉しくなるのが女性というものですので、
その点は少しは日本男性も見習ってもいいのではないかと思いますが、
あまり度が過ぎるのも考えものです。ダイエーのバーゲンで買った2千円のワンピースに、
「どうしたんだ、そのお姫様みたいなドレスは?」と言われた時は、
さすがに(申し訳なさで)顔が赤くなりました。

もちろん求婚も日常茶飯事です。尻の青い若造からいい年をしたじい様にまで、
何度「俺と結婚しよう」という言葉を言われたことでしょう。
そのため、最近では「結婚しよう」と言う言葉が、
「こんにちは」と同じぐらい何でもない挨拶に感じるようになってしまったほどです。
恐らく新疆に少しでも長く滞在したことのある日本人女性なら、
間違いなく同じような感想を抱くと思います。


それほどに情熱的で積極的な彼らのこと。
当然結婚は恋愛結婚なんだろうと思っていたのですが、
必ずしもそうではないらしいと言うことを知り、少し意外に感じました。
今年の夏、アトシュのウイグル人のお宅にホームステイ(強制)していた時のこと。
おばあさんとお嫁さん、そして私と女三人寄れば、恋愛の話の一つも出てきます。

残念ながら提供する情報を殆ど持ち合わせていなかった私は、これは聞きに徹しようと、
だんなさんとどうやって知り合ったのですかと尋ねました。
すると、結婚式の日にはじめて会ったとおばあさん。
耳を疑う私に、結婚は親が決めて、本人同士は結婚するその日まで会うことはなかったのだそうです。
しかもおばあさんだけでなく、お嫁さんまでそうだというではありませんか。
お嫁さんは30代初め。せいぜい10年前のお話です。

後で聞いたところによると、カシュガル周辺の農村ではまだまだこういった形の、
親が決める結婚が多いんだそうです。友人曰く、カシュガルの男は遊び人なので、
早く身を固めさせるために親が決めてしまうんだとか。
やたら結婚が早いと思っていたらそういう訳だったのかと納得。
(もちろんウルムチなどの都市部では、恋愛結婚もごく普通になっています)

それにしても戦国時代じゃあるまいし、会った瞬間に「げげっ」と思う事とかないんですか?
と聞いたところ、結婚して、子供を産んだりしていくうちに、必ず好きになるものよとおばあさん。
それはそれで素敵なことだと思うけれど、どうやっても好きになれない場合も、
中にはあるんじゃないかと疑問に思いました。


カシュガルに行ってから、今度は男性に聞きました。
すると男性の方がやや正直で、こういう風に結婚して満足するのは15パーセントで、
残りの85パーセントは我慢しているんだとか。
ウイグル人は結構離婚率が高いと言う噂を聞いていましたが、
その一因としてこのような結婚の形態があるのかなと思いました。
もっとも恋愛結婚したからといって添い遂げるカップルばかりではないので何ともいえませんが。


とりあえずは、積極的で情熱的な彼らの知られざる一面を見た思いですが、
裏を返して言えば、このことがウイグル人の、特にオヤジどもが、
あれほど不必要に積極的で情熱的な原因なのかもしれません。

でもそういえば、シャイで口下手で恥の文化を背負っているはずの我らが大和民族も、
おやじ連中はやっぱり不必要に積極的で情熱的で、恥はどこに置いてきた?
という感じであることを思い出しました。

おやじはもうおなか一杯だ。
やっぱりシャイで無口な方がいいかも。

改めて思い直したところで、今宵はこの辺にいたしとうございます。


追記:聞くところによると、我が母校では、卒業後一定の期間が過ぎても独身のままでいると、ある日「シスターになりませんか?」という葉書が送られて来るとか。新疆ではとうの昔にトウが立ってしまった私ですが、その日が来たら、晴れて日本でも「嫁き遅れ」と認定されることになるのでしょうね。来るべきX-デイを控え、白馬のお殿様の光臨を待ち望む今日この頃です。


10月14日(月) アリー来襲の巻
前回、ウイグル人の男性の積極的さについて述べましたが、
そういえば積極的なのはウイグル人男性だけではなかったということを思い出したので、
ちょっと書いてみます。


それは二年前のある日、ストックホルムに着いた翌日のこと。
まずは情報収集をしようと、ツーリスト・インフォメーションをぶらぶらしていると、
突然「アノー、ニホンノカタデスカ?」という声が。
なぜこんな異国で日本語が?と顔を上げたところ、
旅行者とおぼしき一人の若者が立っていました。

パキスタンから来た彼、アリーは、以前、日本に行ったことがあり、
日本人を見て懐かしくなって話しかけて来たそうです。
ストックホルムには友達に会いに来たとのこと。
もし時間があれば、一緒に市内を見て回らない?案内してあげるよと彼。

知らない人について行ってはいけない、小さい頃に繰り返し聞いた親の忠告を、
何故私は忘れていたのでしょう。
しかしその時、悪いことに何もかもが灰色の町ロンドンから解放された喜びで、
出会う人が皆善人に見えたのです。その上とっても暇だったのです。

ちょっとだけならいいか、案内してくれるって言うし。
ただ、どこか私の(妖怪)アンテナに引っかかるものがあったので、
ホテルにチェックインするから、とりあえず3時までならということにしました。
オーケー、じゃあ町を案内してあげよう、と彼。
こうして、あまり考え無しに道連れを選んでしまった私ですが、しばらくすると、
どうも変だということに気がつきました。


私はガムラ・スタンに行きたいと言ったのに、一向にたどり着く気配がありません。
ガムラ・スタンは中世の町並みをそのままに残した街区で、
ストックホルム観光の目玉ともいうべき所です。
ちょっとでも町を知っている人なら知らないわけがありません。

この人、本当は道を知らないんじゃないだろうか?そんな私の疑いを知ってか知らずか、
しきりとお腹がすかないかとか、のどが渇かないかと言うアリー。
早く行きたいというのが本音だったのですが、温かいお茶にも心が惹かれます。
そこでとりあえずカフェに入ることにしました。


おごってもらったお茶を飲みつつ、話を聞いてみると、
ストックホルムには初めて来たとのこと。あんまり詳しくないんだよねと言います。
お前、案内してやるとか言ってなかったか?そう思ったことは言うまでもありません。

すでに彼について来たことを後悔し、時計ばかり見ている私。
早く3時になれ、早く3時になれ。しかしそんな私の気持ちに気がつく様子もなく、
ご機嫌で話を進めるアリー。
それどころか、話がどんどんあらぬ方に傾いていくではありませんか。

「君は結婚しているのかい?恋人はいるのかい?」(心の声:そんなことお前には関係ない)
「実は僕はまだ結婚してないんだ」(心の声:知ったことか)
「日本に結構友達がいるんだけど、皆日本女性と結婚してるんだよ」(心の声:何が言いたい?)
「パキスタンのママはとっても優しくて、素敵なのさ」(心の声:だからどーした)
「君がパキスタンに来た時は、絶対ママと仲良くなると思うよ」(心の声:誰が行くか!)


コメントできない苛立ちを、日本人特有のアルカイック・スマイルに変換して黙っていた私。
するとアリーが意味ありげにこちらを見、独り善がりな笑みを浮かべながら、
「ねえ、君は今、何を考えているんだい?」と言うではありませんか。
僕のことを考えているんだろ?そんな声が聞こえてくるようです。

何だ、この馴れ馴れしさは。かなり腹が立ったのですが、勤めて冷静に言いました。
イスラームについて考えているの。確か彼方の国もそうだったよね」と。
にわかに白ける奴。「ワレ、敵艦ノ撃沈二成功セリ!」とほくそえむ私。
とりあえず水を差すのには成功したようです。
しかし敵もなかなかさる者。それで引き下がるほど甘くはなかったのです。


その日はとても寒い日でした。店を出た後、あてどもなく歩いて水辺にたどり着いた我々。
湖面を渡ってくる風にすっかり凍えてしまった手を、息で温めていたところ、
寒いのかい?と奴。あ、うん。ロンドンでは結構暖かかったから・・・。
セリフも言い終わらないうちに、突然アリーが手を重ねて来るはありませんか!

またたくまに全身に走る鳥肌。何をする!怒りを込めて手を振り払ったのですが、
彼の脳内では「恥じらい」に誤変換されてしまったようです。満面の笑みを浮かべながら
「ああ、君の手は何て冷たいんだ。それなのに
どうして僕の手はこんなにホットなんだろうね?
と言うではありませんか。


見れば、

カモン、ベイビー温めてやるぜ!と両手を広げて待つアリー。

手どころか、身も心も凍えきったことは言うまでもありません。
できることならば、奴を蹴倒して全速力でその場から走り去りたい。
しかし、お茶をおごってもらった手前、逃げ出すのは人間としていかがなものか。
妙なところで律儀な自分の性格を恨めしく思いつつ、
とりあえず「熱があるんじゃないの?」と冷たく言い放っておきました。


しかし案内役として全く役に立たない上、害にもなるということがわかった今、
なぜ奴と一緒にいることができましょう。そう思った私は
「そうだ、用を思い出した。私これから国立公文書館に行かなきゃ」と言いました。
何故今ごろ?かなり苦しい言い訳です。自分でも笑ってしまうぐらいです。
しかしなりふり構っていられなかったのです。
奴が「そっか、じゃあ」と言った時には心底嬉しくなりました。


しかし奴が続けていった言葉は、私の心胆を寒からしめるのに十分なものでした。
「じゃあ僕たちはまず国立公文書館に行こう。僕もその資料に興味がある。
僕たちはそこでその資料を見よう。
それから僕たちは一緒に君のホテルに行こう」と。
僕たち言うな!とか、嘘つくな!とか、友達のところに行くんじゃなかったのか!?とか、
何に腹を立てていいのかわからないような混乱した頭の中で、一つだけわかったこと、
それは、どんな手を使っても、今すぐこやつとはおさらばしなければならないと言うことでした。
もはやたった一杯のお茶に恩義を感じている場合ではありません。


(日本とパキスタン両国の友好のために−中略)


こうして円満にお別れすることが決まった我々ですが、なおも
「オーケー。じゃあ今日はこれでグッバイだね。じゃあ次、いつ会おうか?」
と言い募るアリー。
にっこり笑って「あなたが日本に来た時は、もしかしたら会えるかもしれないね」と私。
さすがの奴にも、その言葉にありありと込められた「永遠にさようなら」
というメッセージが伝わったのでしょう。
私たちは笑顔でお別れし、その後二度と会うことはなかったのでした。

ちなみに以上のエピソードは、日本人男性には決して真似して欲しくない、
積極的な男性のとってもダメな例ですのでご参考までに。


10月17日(木) 白い秋の巻
人恋しい秋、物思いの秋。

そろそろトウが立ってきたとはいえ、私も(まだ)妙齢の女性。
秋に名を借りて、たまにはセンチメンタルな感傷に浸ってみたいという願望もあるのですが、
残念ながら環境がそれを許してくれません。
というのも、ここウルムチでは既に秋が終わろうとしているからです。
というより、もう終わりました。

今日の天気は晴れ。最低気温は1度、最高でも4度です。寒いです。
ここ一週間で、気温は見る見る下がってきており、氷点下に達するのもあとわずかと言う感じ。
東京と言う温室でぬくぬくと育ってきた私にとって、この野蛮な寒さは辛いものがあります。

ウルムチではエアコンの普及率は低く、一般的な設備といえばスチームです。
(ご存知ない方はいないと思いますが、パイプに温水を通して部屋を暖める装置のことです)
そしてスチームの燃料は石炭。ウルムチの冬は、それはそれは寒いので、
石炭をぼんぼん燃やして暖を取ります。石炭を燃やした煤は、
煙突を通って大気中に撒き散らされます。
それはもう、黒い雪が降るほど。

こうして中国大気汚染地区、一、二を争う地位についてしまったウルムチ市ですが、
その汚名を返上するため、最近は市が一括して温水を供給することになったそうです。
何でも各単位(機関・組織のこと)がバラバラに煙を撒き散らすよりは、
一括してやった方が汚染が少ないからだとか。

一昨日のニュースでは、その日(10月15日)から、温水の供給が始まったと。
これで暖かくなると喜んだものの、いつまでたってもスチームは氷のように冷たいままです。
ひょっとしてこの部屋のスチームが壊れているのだろうか?
そう思ってお隣さんに聞いてみたところ、お隣さんもまだだそうです。
噂によれば、私の所属している単位は貧乏なため、
市への暖房費の支払いが遅れているからだとか。
勘弁して下さい。

今、友達から電話が。彼女の部屋はとっくに暖房が入っていて、半袖じゃないと暑いそうです。
「え、まだ暖房入ってないの?」と彼女。
電話を切った後、何だかよりいっそう部屋の温度が下がったような気がします。
・・・貧乏ってせつないな。そう思いながら溜息をついたところ、その溜息が白くなりました。
感傷の秋が凍傷の秋にならない内に。温水の到来を今か今かと待ちわびております。


追記:公的開始に遅れること5日、10月20日にようやく暖房が入りました。嬉しい。


10月26日(土) レベルアップ!の巻
早いもので、こちらに来てからもうすぐ半年が経とうとしています。
初めこそ慣れない異国の地で涙で枕を濡らしたこともありましたが(うそ)、
今ではすっかり現地に馴染んでしまい、
滅多なことでは日本人に間違えられなくなったほどです(ほんと)。

ちなみに、この半年間のレベルアップはこんな感じ。
もしかしたら日本ではレベルダウンというかもしれません。
  • こうげきりょくが89ポイントあがった
  • ずうずうしさが53ポイントあがった
  • ふてぶてしさが67ポイントあがった
  • つつましさが209ポイントさがった
  • 「ごめんなさい」のじゅもんをわすれた

こんな風に、着実に人民化しつつある私ですが、
それでもやっぱり完全には馴染みきれないところそれはお金に関することです。
概して日本人は「金がらみ」の話題を余り好まず、
特に金銭に関するプライベートな質問をすることは、
よほど親しい間柄でない限りタブーとされています。
しかし、ここ新疆においては、その話題を避けては会話が成り立たないというほど、
頻繁に話題に出て来るのです。(良識のある人たちももちろんいます。念のため)


例えば初対面の時点で、名前、出身地、年齢等の他、
必ず聞かれるのが金銭関係の質問です。
お前の月給は月いくらだ?家賃は光熱費込みで何元だ?生活費はどのぐらいかかる?
オヤジの年収はいくらだ?などなど。
別に聞かれて嫌だと言うわけではないのですが、特に聞かれて楽しい話題というわけではありません。
私自身は無産市民ですし、父のことにしたって、面と向かって「お父さんあなたの年収はいくらですか?」
などと聞いたことは無いので、尋ねられても困るのです。

「羊は日本でキロいくらだ?」と言った質問も困りもののひとつです。
日本では羊は一般的ではないし、そもそも普通の家庭では、米以外の食品を、
キロ単位で買ったりしないのです。
さらに彼らの大好きな質問の一つに、「中国元は日本円で何円だ?」と言うのがあります。
多少の変動はあるものの、現在のところだいたい1中国元=15日本円ぐらいです。
しかしこれを聞いて、「じゃあおれ達の金が強いんだな」というのには、大変コメントに困ります。
1元=15円というのはただの交換比率で、これが1元=20円になった時、
初めて元が強くなったと言えるのです。しかしそんなことを説明するのも面倒くさいので、
ああそうだねなどと答えてしまう不親切な私。


また、最近では記憶もあやふやになって来てしまいましたが、
確か日本では買い物をする時店員がお札を不審そうに確認したり、
客がおつりをうさんくさげに確認したりすることは、まれだったように思います。
もちろん確かめないとは言いませんが、あまりあからさまにそれをすることは、
相手を信用していないということで、少しためらわれることだったように記憶しています。

しかし人民はお金に対しては大変厳しく、妥協を許しません。
基本的には客も店員もお互いをこれっぽっちも信用しておらず、
店員は穴があくんじゃないかと思うぐらいしげしげと札を眺め、何度も何度も数え、
ようやく仕方なさそうに金を受け取ります。もちろん客の方も黙ってはいません。
お釣りが来たら来たで、何度も何度もお釣りを数えなおし、レシートを入念にチェックし、
少しでも間違いがあろうものなら親の仇とばかりに噛み付きます。


何が驚いたかというと、結婚式でもやるんですよ、これが。
ある時、式で始まるのを待っていると、一人のお姉さんがやって来ました。
手にはノートを携え、ご祝儀を集めて回っているとのこと。客側が懐から、
くちゃくちゃのお札をそのまま渡しているのにも、こだわりのない人たちだなあと思ったのですが、
札を受け取ったお姉さんが、目の前で表を見、裏を見、偽札だったら受け取らないぞと感じで、
天にすかして確認したのにはかなり驚きました。


日本人には考えられないような行為ですが、彼らは特に気にした風もありません。
さすが四千年の歴史を持つ中国。失礼とか無礼とかの許容範囲が日本人に比べて
遥かに広いのだと妙に感心してしまいました。所変われば習慣も変わるものなのですね。

ちなみに、私は中国に骨をうずめるつもりはこれっぽっちもないので、
とりあえず「はうまっち」の呪文だけは覚えないようにしようと思います。(希望)
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