瓦版のトップページに戻ります 新疆瓦版−ウルムチまでは何マイル? Xinjiang Times Kawara Edition - How Many Miles to Urumchi?
過去の落書 タリム河原落書トップページ
2005年8月/前の月に戻る次の月へ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2003年8月のお題目一覧


2005年8月1日(月) 三周年によせての巻〜前編
私が初めて新疆ウイグル自治区に足を踏み入れたのは1998年、今から7年前のことでした。その当時、私が漠然と抱いていたイメージはと言えば、新疆ウイグル自治区は昔のいわゆるシルクロードの要衝であったこと、そして、現在は中国の民族問題の焦点地区として知られており、テロなども頻繁に起こっている危険な地域であることの二つでした。

一ヶ月の旅行に行くことを決め、チケットも買ってみたものの、何しろ行く先は遙か地の果てのタクラマカン砂漠で、政情も不安定と聞きます。それなのに、私の中国語とウイグル語はせいぜい片言がいいところで、おまけに初の海外ひとり旅。もしかしたら、不慮の事態に巻き込まれ、二度と再び祖国の土を踏むことができないかもしれないと真剣に思いました。そこで、念入りに部屋を片づけ、万が一の場合に備えて両親宛の手紙をしたため、引き出しの奥にしまってから出発したことを覚えています。今思い返すとアホか!という感じですが、当時はまだ若かったのです。

北京からウルムチに降り立ち、ウルムチに数日間滞在した後、トルファンからタクラマカン砂漠の北縁を通るルートに出ました。おんぼろバスにゆられながら、コルラからクチャ、クチャからアクスへ行き、西の果てであるカシュガルに辿り着いた後は南下してホータンへ。そんな風に、タクラマカン砂漠をぐるりと回って帰ってきました。その時は単なる単なる観光旅行だったのですが、それでも一ヶ月にわたる旅の間には、色々なことがありました。楽しかったことも、困ったことも。そして、そんな風に現地の人々、文化に直接触れることを通して、自分の考え方が変わっていくのを感じました。

ここは、かつて幻想的なシルクロードだったかもしれないし、今なお危険なテロ多発地帯であるかもしれないけれども、私たちと何ら変わらない、普通の人々が普通に暮らしている所なんだと。当たり前のことですが、本で得た知識で頭でっかちになっていた私にとっては、そんな当たり前のことが非常に新鮮に思えたのです。その経験があったため、2002年からウルムチに留学することになった時、先入観に惑わされることなく、等身大の目線で、普通の人々の普通の暮らしを見よう。そして、砂漠のど真ん中でも、海から最も遠いところでもたくましく暮らしている、私たちと同じように泣き、笑い、一所懸命に生きている人々がいるんだと言うことを、自分の言葉で伝えたいと思ったのです。それがこのサイトを立ち上げたきっかけでした。

その後、現地や現地の人々について、繕うことなくありのままに書きすぎた結果、このサイトが果てしなく下らない方向に転がっていったのは自分でも誤算でしたが、しかし、すべては inshallah 。それが私の額に印された宿命であるならば、甘んじて受けましょう!・・・という訳で、サイト開設から三年が過ぎた今、改めて我が道を突き進む決意を固めた次第です

そんなダメ所信表明演説はこのぐらいにしておきまして。少し思うところもあり、今回は少しまじめに「民族」について語ってみたいと思います。ちなみにこれはあくまでも私見ですので、必ずしも新疆の民族問題をそのまま反映するものではないこと、ご承知いただければと思います。


1.民族のサラダボウル・新疆ウイグル自治区

新疆ウイグル自治区は中国の中でも有数の多民族地域です。現在では中国の主体民族である漢族も含め、55の民族が居住していますが、2大マジョリティーとなっているのが、自治区の主体民族であるウイグル人、そして漢族。前者が約45%、後者が約40%と、両者で新疆の人口の8割以上を占めています。区都であるウルムチを歩くと、顔立ち、髪、目の色の異なったさまざまな人がおり、一見すると民族が混じり合って暮らしているようにも見えますが、実際上は、ウイグル人と漢族は水と油のように混じり合わずに暮らしています。

テュルク(トルコ)系のウイグル人と漢族は、民族が違うのはもちろんですが、言語的、宗教的、そして文化的にも全く異なっています。近年の漢語教育の普及に伴って、都市部のウイグル人は漢語を話しますが、日常的には母語であるウイグル語を使うのが普通であり、対する漢族は一部の人を除き、ほとんどの人がウイグル語を解しません。また、ウイグル人のほぼ100%はスンナ派のムスリム(イスラーム教徒)であり、通過儀礼や冠婚葬祭などの特別なイベントに限らず、日常生活の全てがイスラーム的規範と深く結びついています。対する漢族の中には、仏教や道教を信仰している人もいますが、長年にわたる共産党支配の影響で、無神論者が多く、普通は宗教とはほとんど縁のない生活をしています。

宗教的な理由から(それだけではありませんが)、基本的にウイグル人と漢族が通婚することはなく、むしろウイグル人の側はそれをタブー視しています。漢族女性がイスラームに改宗してウイグル人社会に入るというケースはありますが、ウイグル人女性が漢族男性に嫁ぐということはまずありません。そのほか、公的な休日も漢族とウイグル人では異なっており、ウイグル人をはじめとするムスリム用の食堂と漢族用の食堂が分けられていたり、(漢族がウイグル人の食堂に入る分にはOKですが、その逆はありません)また、漢族が北京時間を使うのに対して、ウイグル人は新疆時間を使うなど、大きなことから小さなことまで、さまざまな局面において両者の差異が存在しています。

そのため、職場でのつきあいなどを除いた日常生活のレベルでは、全く重なり合わない二つの社会が平行して存在しているというのが現状です。


2.漢族とウイグル人

そして、単に混じり合わないだけではなく、仲も悪い。本当に悪い。表面上は仲良くやっているように見える場合も、陰では大変なことになっています。漢族は不潔で野蛮で、死んだ漢族だけがいい漢族だ!とか、ウイグル人は嘘つきでドロボーで、テロリストの親戚だ!とか。思わず耳を塞ぎたくなるような悪口雑言が日常茶飯事なのです。

現地でよく聞かれた、私が一番困る質問の一つに、「ウイグル人と漢族とどっちが好き?」というのがあります。これはウイグル人にも漢族にもどっちにも聞かれるのですが、聞いている側は質問ではなく、オレたちがいいに決まってるさ!という確信を込めて聞いてくるのでなおさら困ります。私が「うーん、人によるかな?」と答えようものなら、彼らはあからさまに不満な顔をします。そして、何とか自分たちがいいという答えを私から引き出そうと、いかに相手の「民族」が悪いかということを説くのです。そう、この「民族」というのが非常にやっかいな代物なのです。

私自身は、ややウイグル寄りではあるものの、基本的にはニュートラルなスタンスであることを旨としています。どの民族がいいとか悪いとかではなく、人間の善し悪しを決めるのは、民族ではなくその人自身の人間性にかかっていると思っています。だから、漢族であろうとウイグル人であろうと、いい人が好きで、嫌な奴が嫌い。しかしその一方で、一定期間現地に住み、現地の人々と日常生活のレベルで接触するうちに、個々人の人間性の違いとは他に、彼らが属する集合体としての民族の特性、つまり民族性のようなものも、やはり存在しているのだと言うことにも気づかされました。

漢族は概して好戦的で、他人を見たら敵と思う人々です。初対面では無愛想かつつっけんどんで、決して愛想笑いをしません。人が掃いて捨てるほどいるので、自己主張をしない人間は社会の落伍者。常にオレオレで、基本的に人の話を聞かないので、けんかも日常茶飯事。メンツが命よりも大切で、それをつぶされた日には烈火のごとく怒ります。しかし、一旦「ウチ」の人間と認識すると、手のひらを返したように親切になります。家族と朋友のためなら我が身の犠牲をも惜しまない人々、それが漢族です。

対するウイグル人は、陽気かつフレンドリーです。初めて会ったその日から友達になるのも普通のことで、こちらを楽しませよう、心地よくしようと一生懸命になる心優しい人々です。しかし一見、歌って踊って楽しく暮らしているようでありつつ、彼らの社会内部に一歩踏み込んでみると、非常にドロドロしています。彼らのつきあいは意外に表面的で、約束の履行率は低く、自助努力に欠ける傾向にあります。私も何度煮え湯を飲まされたことか。

不思議なもので、いいところは人それぞれなのですが、悪いところは妙な共通点があるのです。おかげでウルムチにいたときは、「ふざけんな漢族!」とか、「甘ったれんなウイグル人!!」とか、はらわたの煮えくり返るような思いをすることもしょっちゅうでした。「てめえらの血は何色だ!?」とまで思ったのも、人生で初めてのことでした。それでも、私にとって所詮彼らは他者なのだ、私には最終的には帰る場所がある、そう思うと、我に返り、一歩引いて客観的に物事を見つめることができます。しかし、これが同じ土地の限られたスペースを分け合って住むとなると、お互いにお互いが我慢ならない!ということになるようです。


3.民族間の対立

民族間の対立の難しいところは、その原因が単にお互いの民族性ではなく、互いが置かれている政治的・経済的・社会的な状況に起因しているところです。中華人民共和国建国当初には人口のわずか7パーセントを占めるに過ぎなかった漢族は、今やウイグル人に次いで第二位の人口を占めるまでになりました。(流動人口も含めれば、すでにウイグル人を抜いているかもしれません)新疆は名目上はウイグル人の自治区ですが、事実上、新疆の社会経済において主導的な立場にあるのは漢族であり、それに対して、特に昨今、ウイグル人が置かれている状況はなかなかに厳しいものがあるといえます。

ウイグル人のほとんどは天山山脈以南のオアシス地域に居住しており、彼らの大多数は今なお伝統的な灌漑農業に従事しています。しかし、市場主義経済の進展と輸送手段の発達に伴って、中国内地から安価な農作物が大量に入ってくるようになったため、元々現金収入の少ない彼らの収入は更に減少し、子供を中学校にやる学費すら捻出できない家庭も少なくありません。農村で食い詰めた若者は、ウルムチなどの大都会にやってくるのですが、今や大学を出た漢族ですら就職に苦労する時代。まともな職にありつくことなどできようはずもなく、山西巷や二道橋の道端で、雑多なものを売ってはその日暮らしの生活をしています。犯罪に手を染める者も少なくないと聞きます。

計画経済の時代には、政府による学生の分配工作が行われていたため、少なくとも大学を出さえすれば、ウイグル人も公的な職を得ることができました。しかし市場主義経済に移行してからは、基本的に政府はノータッチ。学生は自分の足で職を探さなければならなくなりました。(←日本では当たり前なのですが)新疆ウイグル自治区では、ウイグル語と漢語が公用語とされていますが、公的機関などでは、事実上漢語が公用語になっています。従って、政府による強制的な分配工作が廃止された以上、どこの機関も漢語のわからない、あるいはその能力が不十分なウイグル人の学生を採りたがらなくなりました。また、新疆では元々民間の企業の数が少なく、ウイグル人がトップを勤める企業も非常に限られているため、ウイグル人の若者の就職の口は狭まっていく一方です。かくてウルムチには、大学を卒業したにもかかわらず、どこにも行く当てのない、ウイグル・ニートがあふれることになったのです。

近年、そうした将来の就学・就労時の困難を見通して、子供を小学校の時から漢族の学校に通わせるウイグル人の親が増えています。幼い頃から漢語で学校教育を受けてきたウイグル人の子供は、漢語の運用能力という点では、漢族と全く引けを取りません。しかし、その反面、自分たちの民族の文字を書けない、あるいはウイグル語で高度な思考ができないという現象も起きてきており、一種の社会問題とすらなっています。その一方で、政府主導による漢語教育の強化に対するウイグル人の危機感は大きく、それに対する反発も知識人レベルから一般レベルまで広がりつつあるというのが現状です。

もしも、同じようなことが日本で起こったなら、政府はケシカラン!となりますが、そこが多民族国家の難しいところ。政治的、社会的な劣位に置かれたウイグル人の憎しみの矛先がどこへ向かうかというと、政治的、社会的に優位に立っている民族、つまり漢族へと向かうのです。実際には、ウイグル人の中にも同じウイグル人を食い物にしてうまい汁を吸っている人々も沢山いる訳で、むしろそちらの方が罪が重いような気がするのですが、やはり憎しみをぶつける対象は民族の外へと向けられるようです。俺たちがこんなに苦しい目に遭っているのは、奴らが来たからだ。奴らは俺たちの土地を踏み荒らし、俺たちの文化を破壊し、最終的には俺たちウイグル人をこの世から消滅させようとしているんだ!と。

ウイグル人の置かれたこのような状況は同情すべきものであり、彼らの未来を思うと、正直胸が痛みます。ただ、同時に「他者」の私には、漢族の心情も理解できるのです。ウイグル人の主張を聞いていると、漢族は血も涙もない冷酷で非情な侵略者であり、新疆でエスニック・クレンジングをたくらんでいるかのように思えてしまいます。しかし−政府サイドにどのような思惑があるのかはわかりませんが−、少なくとも一般レベルでは、新疆からウイグル人を抹殺しようなどと考えている漢族はいません。いたとしても非常に少数です。彼らの多くは、ただ平和に日々を送りたいと考えている普通の人々です。ウイグル人ともむしろ仲良くやってきたいと思っています。でも、彼らはただ漢族であると言うだけで、訳もなくウイグル人から憎まれてしまう。自分は何もしていないのに。そして何をしたとしてもその溝を埋めることができない。所詮あいつらとは分かり合えないんだ。芽生える不信感、深まる亀裂。そのようにして、漢族もまたウイグル人を嫌うようになるのです。

ウイグル人居住地域を歩いていた時、私の腰にも届かない子供に「ヒターイ!」(漢族の蔑称)と侮蔑的に言われたことがあります。漢族の中学生の子供から、「ウイグル人は何をするかわからないから怖い、だから嫌い」とうち明けられたことがあります。年端もいかない内から、互いの民族への憎しみをたたき込まれて育った子供が、どうして互いに友情をはぐくむことができるでしょうか。親は子へ、子は孫へ。憎しみの連鎖は途切れることなく続いていくのです。


続く

▲ このページの一番上へ