アンバー




天気の良い昼下がり。
私は一人で、広い公園に来ていた。

時間に追われる人々の、心のオアシスとして
人工的に作り出された自然は、とても居心地の良いところで。

気分転換に、
癒しを求めて、
様々な理由で、人はここに来る。


大規模な噴水の枠に腰掛けて、ぼんやりと空を見上げる。
太古の昔から、変わらないとされている空。そして空気。
全ては循環を繰り返し、流れを受け継ぐ。

時折吹く風に揺れる単子葉植物の葉が、音を立て、
適度な数の人間にざわめく世界に色を添えていた。

自然は遥か昔から変わらず美しいと。
本当は一体誰が、そんなことを言えるのだろう。

今この瞬間の美しさは、私の中に残り、そして私が忘れるまで存在するけれど。
ただそれだけのことなのに。


それでもこの世界の太古の姿が、今、私の目に映る景色と
そう変わるものではないと、どこかで信じられる気がする。



突然、大勢の笑い声と共に、若い集団が公園に入ってきた。
修学旅行だろうか、元気が良く、そして一人一人が幸せそうに笑っていた。
声を張り上げる、引率の大人たち。
連絡事項を告げたのか、話の終わりと同時に、彼らは踊るように散っていった。

小さな集団に分かれて、楽しそうに笑い合いながら歩いていたり
噴水を背に、写真を撮り始めたり。


私はそんな彼らを微笑ましく見守っていた。
当然のように繰り返される日常に、相応しいこと。


ふと顔を前に向けると、私のすぐ正面に、一人の青年が立っていた。
先ほどの集団の一人だろう。
けれど、どこか異質な雰囲気を纏っている。

例えばその要旨。
生徒にしては大きすぎるし、教師にしては若すぎる。
それに、こういった場では、独りの行動を嫌がるものではないだろうか。
けれど彼は、他の子達には目もくれない。
その視線は、ただ一点を。

私を通り越し、噴水を見つめている。


「どうかしましたか?」
沈黙を保つには、あまりにも近い距離にいる彼に声を掛けてから
何だか私は、彼のことを知っているような気がしてきた。
どこかで会ったのだろうか。

ぼんやりと記憶をたどってみても、それらしいものは思い当たらないが。


「この噴水を」
「え?」
「この景色を、どこかで見たことがあると思って」

独り言のように呟く彼の瞳には、相変わらず私は映っていないようだけれど。

「前に、ここに来たことが?」
「・・・」



「ちょっと、何してるの?」
突然かけられた声に振り向くと、先ほど引率をしていた若い女性が
こちらに向かって駆けてくる。
彼女は私に軽く会釈すると、彼の肩に手をかけた。

「さあ、皆のところに戻りましょう」

彼はまったく動く気配を見せない。
彼女のことも、彼の瞳には映っていないのだろう。

「この景色を見たことがあるんだ」
「そう。写真か何かで見たのね」
「ここに来たことがある」
「何を言っているの、君がここに来たことあるはずがないでしょう」
「知ってる」
「じゃあ・・・」
「確かにここに来たんだ。この噴水も、奥の山も知っている。
向こうには商店街があるんだ。手前から本屋、八百屋、駄菓子屋。
そう、そこは老女が一人で経営していて」

聞き分けのない子をなだめるようだった女性の笑みが、ふっと消えた。
「まぁ・・悪い子ね。いつの間に見てきたの」




「あの子、ちょっと問題があって。それでうちの施設で預かっているんですけど」

子供達もあの青年も別の集合場所に行ったあと、彼女が私に話しかけてきた。
すっかり静かになった公園には、もう夕日がさし始めている。


「家族の仕事の関係で、ずっと海外を転々としていたそうです。
ご両親が忙しいから、彼は小さい頃から、年の離れたお兄さんとほとんど二人きりで」
「そうでしたか。
確かに、人馴れしていないような雰囲気がありましたね」

「だけど1年前、お兄さんは成人して家を出てしまったそうです。
もちろん彼のことは心配だったと思います。でも仕事の関係でどうしても」

彼女が挙げた企業は、隣町に本社である巨大な建物を持つ有名どころで。
仕事も忙しいが、給料も良いと専らの噂だ。


「それが、久し振りに実家に帰った時に、殺害されました」
「え?」
「・・・殺されてしまったんです、何者かに。
犯人はまだ分かっていません」
「・・・それは、お気の毒に」
「彼がお兄さんを殺したとも言われました。
でも、本当に仲の良い兄弟だったから、そんなことはとても」
「そうですね」

そこで彼女は一旦言葉を区切る。
夕日がつくりだす長い影を目で追いながら。

「ただ、彼はお兄さんの死体の一部を食べたらしいんです」

何でもないことのように。
告げられた言葉を、私は一瞬理解できなかったけれど。


驚きと同時に、けれど頭中で、途切れていた糸が繋がった。



「あら、もう行かないと。ごめんなさいね、こんな話をして」

立ち上がった彼女に、私は後ろから尋ねた。

「彼は確かに、ここに来たことはないんですね?」
「ええ。うちの施設は全寮制だし。彼は帰国したのも、つい最近のことだし」

本当に、どうしてあんなことを知っていたのかしら、と
呟きながら駆けていく彼女の背中を見送る。

私は日の落ちた公園に一人きり。
自然に笑い出していた。



そうだ、彼は1年前にこの公園でたまに見かけていた男に似ているのだ。
互いに会釈をする程度だったが、間違いないだろう。
そしてその男は、おそらく彼の兄。

たった一人の兄が、世界の全てだった彼にとって、
兄がひとり立ちして離れていくことが、どれほど苦痛だっただろう。
いや、理解することもできなかったのかもしれない。

久し振りに帰省した兄が、もうどこにも行かないように。
何者にも、奪われないように。


想像に難くない。
そして兄の脳を食べた彼に、記憶の一部が移ったのだろうか。
この噴水と、周辺の町並みの風景が。



脳細胞は些細なことで死滅し、決して再生しない。

だが、もし何かの偶然で、生きた脳細胞を、記憶ごと体内に取り入れたら。
育ち、環境、遺伝子が似通った別の体内で、記憶はどのように存在するのか。


我武者羅に死肉を屠る彼が、何か調理したとは思えない。
租借すら、まともにしていなかっただろう。


無数の死滅した脳細胞の真中にあった、生きた記憶の塊。
まるで化石に閉じ込められた生物のように、それは美しいものだっただろう。


――― 彼は満足したのだろうか ―――




すっかり暗くなった静かな公園に、噴水の水の音だけが響く。

流れる水。
風に踊る木々の葉。
世界は今日も変わらない。

脈々と受け継がれた記憶のままに。



END


これも大分前に書いたものに加筆修正。
せっかくなので、もっとグロテスクに書き
たかったのですが、うまく書けなくて挫折。
・・・・ああ、人間解剖したいなぁ・・・
とりあえず、解剖写真を直視できるように
なってから、出直してきます。


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