探しもの・下
「少し、探し方を変えませんか?」
だいぶ夕方の空気を感じる頃。
ようやく私は、その男に提案した。
もっとも、街中の人ごみは途切れることはなかったが。
いい加減に私も疲れてきた。
違う方法を探そうと、何度も切り出そうとしたのだが、彼は少しも聞かないのだ。
あまりのことに、少しでも体を動かしていないと、気がすまないのだろう。
それでも、彼自身も体の疲れのためか、だいぶ動きが緩慢になってきていた。
通行人に何度目かの荒い声を投げられたところを、良いタイミングだと声をかけてみる。
だいたい、一葉の古い写真で見せられただけの人形を探すことなど、このままでは不可能に近いだろう。
何か違う方法を考えなくては。
そう思っていたのは、初めからなのだが、
彼は相変わらず余裕のない表情で、俯いてしまった。
「・・・そうですね。でも一体、どうしたら良いか」
このまま人形が見つからなかったら、と。
そう思い始めているのだろう。その声は震えていた。
だが、少しは話を聞ける状態になってきたようだ。
私はこの機会を逃さないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「落ち着いて、もう一度よく考えてみましょう。
庭に残った足跡をたどると、この街に辿り着くことは分かります。
でも、ここから先の犯人の足取りは全く分からない」
「・・・ええ」
「それに犯行時刻が昨夜、あなたが寝た直後だとすると、
もうずっと遠くまで逃げてしまった可能性が高いですね」
「確かに、そうです」
「それでも貴方は、人形がこの街にあると、そう思っているんですか?」
俯いたままの彼の顔を覗き込もうとしたが、
急に顔を上げた彼に、爪が食い込むほど両肩を掴また。
「あの子はここに居る。僕には分かる!!」
私の斜め後ろに控えていたシダが、やんわりと彼の手をはずすが、私の肩には鋭い痛みが残っていた。
何か感じるものがあるのだろうか。
彼の口調は確信めいていて、何の根拠もないのに、まるで疑う必要がないようで。
しかし私としても、ずっとこの街で当てもなく人形を探してはいられない。
私は努めて冷静に、笑顔を作って彼に話しかけた。
「じゃあ、考え方を変えてみましょう。
犯人の目的に、何か心当たりはありませんか?」
「目的?」
「ええ、高値で売れるとか、欲しがっている人がいるとか」
「それは・・・。ないと思います。おそらく・・・」
「何故です?」
「だって、僕はあの人形を誰にも見せたことがないんですよ。
窓にもいつもカーテンをかけていたし」
一生懸命考えている様子の彼に、私は更に質問する。
この場所が人の往来が極端に多い街中であることも、気にならなかった。
だいたい、朝はまともな会話すらできなかったのだ。
「貴方が手に入れる前は?」
「それは分かりません・・・」
「工房から直接購入した訳ではないと言っていましたよね。
と言うことは、貴方の人形の存在を知っている人もいるでしょう」
「・・・そうかもしれません」
「そもそも、いつ、どこで手に入れた人形なんですか?」
そんな重要なことすら、私は知らずに探していたのだ。
仕方なかったとは言え、この数時間が、全く意味のないものだったような気すらしてくる。
分かっていたのは、ただ、等身大の少女人形であること。
そして、彼が尋常ではないほど、その人形を愛していたこと。
「拾ったんです」
「拾った?」
「ええ。何年か前に、偶然拾いました」
「どういうことです?」
あまりにも意外な答えに、私は訳が分からなくなった。
購入した訳でも、人から譲られた訳でもなく。
拾ったとは。
何年か前の雨の夕暮れ時。
傘をさして帰路を急いでいると、偶然、人形を見つけたと言う。
人通りのほとんどない、細い通りで、塀に寄りかかって座っているかのように
少女人形が転がっていた。
「一目で、僕を待っていたのだと分かりました」
遠い日を思い出し、彼は微笑みながら語る。
その姿に、私は思わず一歩、後ずさった。
彼の人形に対する異常な執着が、どこか不快に思えたのだ。
大事な人形を愛することは、喜ばしいことだと思っているはずなのに。
それほど愛されて、その人形も幸せですねと、儀礼のような言葉すら口にできない。
愛情と妄想の曖昧な境界で、私には彼の感情を判断することはできなかった。
「すぐに連れて帰りました。
そして考えられる限りの愛情を与えました」
彼は夢見るような口調で続ける。
どんなに慈しんでも、彼女は何も答えない。
けれど拒絶することもない。
実ることも、絶望することもない愛情。
今までも、これから先もずっと。
変化の訪れようのない、完璧な恋人同士は
その虚しさゆえに、永遠の愛を約束されていたのだろうか。
「休みの日には、飽くことなく彼女の髪を梳いていました。
いつも一緒に食事をして、時には体を拭いてやったりして」
「食事?」
「ええ。特に皮を剥いて小さく切った果物を
口元に運んでやると、とても喜んでくれるんです」
うっとりと語る彼と対照的に、私の眉間の皺は一層深くなったと思う。
何かがおかしい。
どんなにその人形を愛していたとしても、大の大人の男が、そんなままごとをするのだろうか。
確かに彼は、私の考える常識を、とっくに逸脱してはいるようだが。
もしかしたら、とんでもない空想につき合わされていたのだろうか。
しかし、人形がなくなったのは事実のようだ。
人形への想いの強さが、彼の発言を、理解しがたいものにしているとしても。
どこが・・・とは分からないが、彼の話は何かがおかしいのだ。
「しかし、犯人が誰であれ、盗む理由と言うものはあるはずでしょう」
「・・・分かりません」
黙ってしまった彼に、これ以上の答えを期待するのは無理のようだ。
本当に検討もつかないのだろう。
これほど人形との再会を熱望している彼が、わざと惚けるとは思えない。
しかしこれでは堂々巡りだ。
いつの間にか日も低くなり、辺りは朱色の光に満たされる。
もう日も暮れるだろう。
私は後ろにいるシダを振り仰ぐ。
「今日のところは、引き上げた方が良さそうだな。
彼がもっと落ち着いてから、手段を考え直そう」
「おや、今日と言う日も、まだ終わっていませんよ」
「だが、これ以上探していても無駄だろう。
手がかりどころが、盗まれた理由の検討すらつかないのだから」
「確かに分かりません。
でもそれは、盗まれているとしたら・・・でしょう」
「何が言いたい?」
「人形がなくなったのは、盗まれたからではないかもしれませんよ。
そうですね、ほら」
シダの含みのある言い方に、内心、あまり良い気はしていなかったが、
私は無意識に、微笑みながらどこか遠くを見つめるシダの視線の先を追った。
建物の隙間から差す、強い夕日に紛れて、一人の少女が立っていた。
「え?」
彼女の姿は、写真で見せられた人形そのもので。
緩いウェーブを描く長い髪も、透けるような肌も。
アンティークレースが惜しみなく使われたドレスは、少し埃で汚れていた。
「ああ・・・!」
死体のようだった男が、あっけにとられる私の横を駆け抜け、ぶつかる程の勢いで少女の体をかき抱いた。
良かった、帰ってきてくれたんだね、と。
彼の手のひらは、少女の頬から首、胸を服の上から確かめるように這い回る。
男の肩越しに、彼女の顔が見えた。
大きな瞳は、何もない空を見つめている。
そこには安堵も苦痛も、愛情も嫌悪も、何も見出せなかった。
あれは人形なのか、人間なのか。
そもそも私は何を探していたのか。
彼は何を愛していたのか。
呆然としていた私が、ようやく我に返り、少女に近づこうとした時だ。
彼女の細く白い腕が、優雅に撓り、男は無様に路上に倒れこんだ。
無表情のまま、踵を返そうとする彼女を、私は寸でのところで捕まえる。
「君は彼の探している人形なのか?」
彼女は何の反応も見せない。
そのうちに、男も起き上がり、再び彼女にしがみつく。
いや、縋りつくと言うべきか。
「さあ早く帰ろう。今までのように二人で暮らそう。
君は僕の生きる理由なんだ」
歯の浮くような言葉が、むしろ恐ろしいと感じる。
彼は真剣だ。
それが不気味で。
けれど美しい少女と、彼女の前に跪く汚れた男の姿は、一枚の聖なる絵のようだった。
「私、外の世界に出たくなったの」
鈴の鳴るような声で、初めて彼女の口から言葉が漏れる。
「どうしてかなんて分からない。
ただ、外に出たくて仕方がなくなったの。
私は自分が何をしたいのか、決めることはできない。
私は私のものですらないのだから」
だから貴方のものになんて、なれるはずがないでしょう。
そう続けて、彼女は慈愛のような笑みを浮かべた。
自分に絡みつく、男の腕を跳ね除ける。
「私、貴方の生きる理由である為に、生きている訳じゃないの」
くるりと体の向きをかえ、踊るような足取りで歩き出す。
一瞬だけ、私と目が合うと、彼女はふわりと優しい笑みを浮かべた。
現実を目の前に突き付けられ、追うこともできず呆然とへたり込む男を置いて。
彼女の姿は、微かな夕陽と共に遠ざかる。
そして雑踏に紛れ、消えた。
end
前回から、だいぶ間があいてしまいました・・・。文章がうまく書けなくて。どうにも音が悪いんですよね・・・。要修行です。 これはだいぶ前にネタだけ考えていた話。使い古された少女観で恐縮ですが・・・(笑) 命をかける程愛されても、それを自分の気紛れで(利害と言う訳ではなく)ゴミのように捨ててしまう。相手がどうなろうと、知ったことじゃない。そんな残酷さが、純粋さと同義であるように思います。 まあ、身近にいたら迷惑な人ですが・・・(笑)まずいないでしょう・・。 |