人が生きることは、死に近づいていくことであるように、
花は死に向かって咲き誇る。

虫を呼び寄せる甘い香は死臭。
鮮やかな花弁は死化粧。

あまりにも儚いその命は、一体何のためなのか。



私がその女性と出会ったのは、まったくの偶然だった。

子どもはいないと言っていたが、外見から判断すると確かに、私くらいの子どもがいても不思議でない年のようだ。
突然の雨に降られ、雨宿りと思って軒を借りた建物に、彼女は住んでいた。
私はそこを廃墟だと思い込んでいたのだが。


平屋建ての古い建物。
コンクリートのひび割れに、雨が染み込んで、長い年月のうちに奇怪な模様を浮かび上がらせている。
行儀良く並んだ小さな窓の向こうは、どれも薄暗かった。


「そんなところでは濡れてしまうわ。中にお入りなさい」


突然かけられた声に、私は驚いて、思わず辺りを見回してしまったものだ。
よく見ると、一つの窓から優しそうな笑顔を浮かべた女性が顔を覗かせていて、すぐに引っ込み、そして私のすぐ横のドアが開けられた。


その建物は、かつて世間をにぎわせた工場の女子寮だったらしい。
しかし月日がたち、色々なものが変わっていった。

工場は閉鎖され、従業員たちも新たな職場を探して散り散りになったが、
彼女はもともと患っていた病の悪化で、転職先が見つからなかったらしい。
かつての工場主たちの気遣いもあり、管理人すらいなくなった、この取り壊しを待つばかりの寮に残ったのだそうだ。


それから、いったいどれ程の年月が経ったのか。
楽しそうに思い出話をする彼女に、私は結局、尋ねることが出来なかった。



初めて、彼女の部屋に入ったとき、何ともいえない安堵を感じた。

電力が弱いのか、外の天気のせいなのか、
どこか薄暗い空間の中心に、ぱっとそこだけ明るくなったような色があった。

何のことはない、テーブルの上の花瓶に生けられた花だった。
2本の黄色いガーベラに、グリーンレースなど数本の細い緑が添えられて、花瓶に沿って垂れ下がり動きを作っている。
質素な中にも、センスの感じられるアレンジだった。



「花が好きで、どんなに貧しくても、花だけは欠かしたくないのよ」


そう言って笑う彼女の身なりは、本当に質素だった。
聞けば、開ききって売り物にならなくなった花を分けてもらったり、辺りの荒地に小さな花壇を作ることもあるらしい。
他に、ほとんど何もないような空間で、幸せそうに花を見つめる彼女の表情は、とても優しそうだった。


それから私は、度々彼女の部屋を訪れるようになった。
もちろん、いつも小さな花束を持って。
彼女はいつも、快く迎えてくれた。
そして私の持ってきた花を使って、驚くようなアレンジメントを作るのだ。



ある日のこと、いつものように二人で、お茶を飲みながら花の話をしていた。
荒地に植えたピンクの薔薇がそろそろ咲くだろうと、嬉しそうに笑った後、彼女はふと真剣な目で、花瓶に生けた花を見つめていた。

二人で黙って花を見つめる時間が多いのもいつものこと。
会話のないその時間を、けれど私は窮屈と思ったことはなかった。

「本当に綺麗ね」
「ええ、そうですね」


いつものように相槌を打った後、ようやく私は彼女がいつもと違うことに気付いた。

あの優しそうな、心から花を慈しむような表情でない、何かが、その日の彼女にはあった。


「どうかしましたか?」
「いえ、何でもないのだけれど・・・」


そう言って小さくため息をついた彼女は、ゆっくりと視線を花から私へと移した。


「何かしら、どうしようもなく花が美しいと感じるの」


私には何のことだか分からなかった。
返答に困る私に、彼女も自分の言いたいことが伝わっていないと分かるのか、もどかしげに表情を歪めた。


「花が綺麗なのよ。今までもそう思っていたけど、何かが違うの。」

そしてまた、花が美しいと、それだけを小さく繰り返していた。



数日後、私はまた花束を持って彼女のもとを訪れた。
けれどドアをノックしても返事はなく、部屋の中にも彼女はいなかった。
鍵がかけられていなかったことから考えて、彼女はこの敷地内にいるだろうと、私はゆっくり歩き始めた。


意外と建物は広く、長く続いた廊下と、規則的に並んだドアに、かつて寮であったことが伺える。
人工的な照明もなく、立地のこともあってか、昼間でも薄暗い。
一つ目の角を曲がると、更に長い廊下が目の前に現れ、そしてその先に歩いていく彼女の後姿を見つけた。


私の呼ぶ声は届かないらしく、彼女は灰色の闇にのまれるように遠ざかり、見えなくなってしまう。

私は小走りで長い廊下を駆け抜けた。
荒い靴音が廊下いっぱいに響く。


見た目ほどの距離はなかったようだ。
正面には、すぐに廊下の突き当たりの壁が見えてくる。

左右は施錠されたドアの並んだ壁と、高い窓。

3方を閉じ込められた空間には、けれど私が追っていたはずの姿はなかった。


私は呆然と、立ち尽くす。
振り返ってみると、廊下には中庭からの光が筋のように差し込んでいた。




END


これもだいぶ前に書いたものですが、
大幅に加筆修正。


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