くすくす くすくすくす・・・

まばらな木立は、圧迫感こそないけれど。
細い幹と幹の間から、奥の幹が覗く連鎖が、見渡す限り続いている。
見上げた、白く濁った空には
枯れた葉を付けた樹頂がいくつも突き刺ささっていた。

静かにまっすぐ落ちる、透明な雨。
辺りをしっとりと満たす霧。
自然が作り出した、微妙な直線に縁取られた世界が、ひととき姿を現す。

厚い雲の向こうでは、日が沈み始めているのかもしれないが
ここではぼんやりとした明るさでしか、それを伺うことはできない。
ゲル状の空気に遮られたように、ここでは絶対的な存在も影を潜めている。

普段は見慣れない、色の対比のためだろうか
私には灰白色の背景に浮かび上がる、樹幹や葉、土すらも
ひどく不釣合いに見えた。

細い雨が、落ち葉を濡らす音。
微かな風に、小枝が擦れる。
それに混じって、時折、小さな笑い声が聞こえるようで。
私はぼんやりと辺りを見回した。


静かに、唐突に
木々の間から小さな子供が姿を現し、消えた。
それを追うように、もう一人。
笑いながら男が現れ、また消えていく。


くすくすくす・・・
ははははは・・・


追いかけっこでもしているのだろうか
まばらな幹の間に姿を見せては、別の幹の陰に消えていく。
そしてまた、想像もつかない方向に姿を現す。

彼らは私の存在に気付かないのか、それとも全く関心がないのだろうか。
楽しげに駆け回る白い影は、私とは別の世界にいると。
何故か私には分かっていた。

そしてぼんやりと思い出す。
以前、似たようなことがあった・・・と。
あれはいつのことだったか。


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同じような雨の夕刻。
灰白色のエーテルに包まれて。
大地からまっすぐに生えた木の幹が、異世界に聳え立つ廃墟のように見えた。

あの時も、ここを通った。
小さな私は、シダに手を引かれて歩いていた。
踏み固められた土から、気まぐれに顔を出す、木の根に
足をとられないように気をつけながら。

ふと、シダの歩みが止まり、私は足元ばかりにいっていた視線を上げる。
「どうした?」
「静かに」

ちらりと私を見下ろしたシダの口調は、いつものように優しかった。
やわらかく私の右手を包む、白く綺麗な左手。
私はその繋いだ手と、シダの顔を交互に見てから、今度はシダの視線の先に目をやった。


くすくすくす・・・

人の姿は見えないのに、微かに聞こえてきた笑い声に、私は驚いて思わずシダの指を強く握る。

くすくす・・・

静かで規則的な雨の音に混じって
小さな声が聞こえる。


ぱたぱたと軽い音が近づいて
そして、私たちの前を何かが横切っていった。

おぼろげな輪郭で、灰白色の影のような、小さな子供。
気まぐれに、でたらめな方向から聞こえる笑い声と足音と共に
木々の間から現れては消え、消えては現れる。

私はしばらくの間、呆然とそれを見ていた。

いつしかその声は四方八方から聞こえている。
目の端に、小さく動くものを一瞬捉えて。
動くこともできなかった。
けれど怖くもなかった。
シダがいるから大丈夫。
幼い私には、それは確信だったから。


ふと、背後から異質な音が近づいてくるのに気付いた。
足音。そして小枝や葉を踏む音。
先程まで私たちの周りで聞こえていたものと、確かに同じはずなのに
その音は、生々しく、湿っている。
確かに、生きた人間が、その生身の体をもって発する音。
普段なら聞き慣れたそれが、この場にはひどく不自然に響いた。

振り向くより先に、シダを見上げる。
シダは後ろを見て少しだけ驚いた表情をしたが、すぐにいつもの微笑が口元に浮かんだ。

「おや、珍しい」

私もようやく振り返る。
起伏に富んだ、曲り道の向こうから
やけに体を揺らしながら歩いてくる男が姿を現した。

相当疲れているのだろうか
足音に混じって、荒い息が確かに聞こえる。

「迷い込んだか、それとも誘われたのか」

歌うようなシダの声。
不思議そうに見上げる私に気付き、シダが私の目の高さまでかがみこむ。
霧に湿り、顔に貼り付いた私の髪を、白い指でそっとかき上げた。

「ここは霧に閉じ込められた世界。
人間が来てはいけない場所。
私たちは偶然、その側を通ってしまいましたね」

訳が分からず、小首をかしげた私に
琥珀色の優しい瞳が細められた。

「この世界は彼のために、今、ここに現れたのですよ」

そう言って、よろめきながら近づく男に視線を戻す。
彼はもうだいぶ私たちに近づいていた。


「ここは・・・どこだ?」

ボロボロの身なりで
髪も顔も薄汚れた男が、荒い呼吸の合間に、しわがれた声で尋ねた。

「何故、俺はこんな場所にいる・・・?」
「あなたは招かれたのです」
「何のことだ?」
「失礼。少し違いますね。
貴方が望んだから、貴方はここに来たのですよ」


呼吸の度に肩を揺らしながら、立ち尽くす男の視線が
シダ、私へと動き、そして林の奥をじっと見つめていた。

「何故、俺はこんなところに・・・」

それは疑問だったのか。
それとも確信だったのだろうか。

「・・・思い出せない。何も」
呟く彼の顔から、少しずつ表情がなくなっていく。
生物が必ず保有する生々しさが、ゆっくりと凍結していくように。

「思い出す必要はありません。
今も。これからもずっと」

澄んだシダの声は、不思議な呪文のようだった。

「貴方は望んで、ここに来た。
もう戻る必要はありません」

夢の中で聞く、甘い調べのような。

「貴方の望みは叶うのだから」


ゆっくりと男が、再び歩き始める。
どこか空を一点、見つめたまま。

よろめきながら、しかし確かな足取りで
彼は私たちの横を通り過ぎて行った。


くすくす・・・
くすくすくす・・・

可愛らしい足音と共に
また、あの笑い声が聞こえる。


ふふふ、こっちだよ・・・
違うよ、こっちこっち・・・
くすくす・・・・


リフレインする透明な音が、やがて遠のいていく。

再び、静かな雨の音が世界を満たす頃。
ようやく我に返った私が辺りを見渡しても
男の姿は、影も形もなかった。




あの後、私はシダを見上げて
確か、今のは何?などと尋ねた気がするが
シダは優しく微笑むだけだった。

そして私も、まるで何でもないことのように振舞って
幼い、精一杯の背伸びをしたのだった。


けれど今は違う。
再び姿を現したこの世界は、一体何なのか。
一体、誰のために現れたのか。

そう考えた瞬間、私はゾクリとして、その場に固まった。

「違う。私は望んでいない・・・」

震えそうになる声を絞り出し、確信に変える。

「この世界を望んではいない。私はまだ・・・」


私の前を、あの時と同じように、白い影が横切る。
違うのは、私が成長して今日は一人でここにいること。
そして、小さな影を追って、やはり輪郭の曖昧な男が現れ、消えたこと。

彼が一瞬、こちらを振り返ったように見えたのは、気のせいだろうか。

私は動くこともできず、ただ立ち尽くしていた。



「サイトア」

名前を呼ばれて我に返ると
向こうからシダが歩いて来るのが見えた。

いつの間にか、不思議な声は聞こえなくなっていた。
辺りを見渡してみても、そこは霧雨の降るただの林道だった。
立ち込める薄い霧は残っているが、
あの霧とは別物だと、
私はこちらの世界に住むものの本能で分かる。

「帰りが遅いから気になって。どうかしましたか?」
「いや、何でもない」

あの時と同じように、背伸びをして答えてみる。
けれどシダには、全てお見通しだということも
やはり私は分かっていた。

「少し、からかわれただけだな」

シダに聞こえないように、小さく呟いて
私は早足で歩き出した。

「お礼だったのかもしれませんね」

シダの横を通り抜けた時、小さく囁かれた言葉に
私は振り向きもせず、足を進めた。

「早くしないと置いていくぞ」
後ろで、シダがいつものように微笑を浮かべて
私の後を歩いてくるのが分かるから。

私はただ前を見て、その場所を離れた。



――――この世界を望んではいない。私はまだ――――





シダと二人、再び訪れたこの地で
白い化石のような人骨が散らばっているのを見つけたのは
それから数日後の、晴れた日のことだった。





END


自作人形のイメージを人に話しているうちに、これで話が書けそうだと思い立ちました(笑)
妖怪とか精霊とか、座敷童とか言われるもの・・・ハッキリした呼称はないですが、ふと振り返ると「ケケケッ」と笑って走り去っていく存在。そんなイメージで、いつも人形に向かい合っています。
(しかし、ケケケ・・・と笑う奴って一体・・・笑)

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